超都心の再開発 そこに暮らすということ。其の二
赤坂二・六丁目地区開発計画 2026年3月撮影
様々な建物が混在する都心の街並みに建つ集合住宅
赤坂御所の向かい、青山通りから1本中に入った赤坂七丁目2番地区第一種市街地再開発事業地は、きれいな台形を描く約 1.2ha の敷地。今は 2029年の竣工を目指して基礎工事の真っ最中だ。ここにかつてあった 3 つのマンションのうちの一つ、三生マンションに住んでいた山本治通さんは、当初からこの再開発に関わってきた理事の一人。山本さんに、この再開発の来し方についてお話をうかがった。

かつての赤坂三生マンションは 1970年3月竣工、10 階建て SRC構造。総戸数57戸。全戸南向きのシンプルな外観。施工会社は飛鳥建設。旧分譲会社は三生興産(株)。規模はさほど大きくはないが、同再開発事業の火付け役となったマンションだ。
因みに他の二つのマンションとは
赤坂中央マンション:施工は熊谷組。底地権者は中央土地(株)の借地権マンション。1962年竣工というだけにレトロな作りのクラシックな外観が印象的だった。
赤坂ナショナルコート:1977年竣工。6 階建て RC構造。総戸数69戸。一番新しいだけあって、他の 2 棟が外観モルタル仕上げだったのに対して全面赤レンガ風タイル張りだった。
都心での建て替えでは今の居住面積は保てない?!
マンションの耐震問題から戸建てや周辺建物を巻き込んでの再開発へ
山本さんはずっと東京暮らし。いくつかの都心マンションで居住した後、2001年に赤坂三生マンションの1室を購入した。
公称専有面積約 69 ㎡、購入価格は 4500 万円(内装費含む)だった。同マンションは入居時すでに築30年超の旧耐震住宅。1995年の阪神淡路大震災以降は、各地で大地震が多発するようになってしまった時代。阪神淡路大震災の災害ボランティアとして現地にも行った山本さんをはじめ、三生マンション内では耐震補強をどうするかが、年々大きな課題になっていったという。
最初は単独建て替えが想定されていたそうだが、現行法下では現在の居住面積は確保できない。そこで周辺の建物やマンションも含めての再開発計画が浮上した。
しかし想定区域内には集合住宅以外に雑居ビル、公社社宅、専修学校や戸建て等様々な建物が建ち、権利関係も様々。そこで熟練した再開発コンサルタントを迎え、まずは理事会で資金を集めての調査から始まったという。
都心マンション居住者は経歴も肩書も人脈も異色
当時から赤坂には有名人が数多く住んでおり、周辺マンションには芸能人や小説家、アーティストが数多く住んでいたが、三生マンションは、地味な外観と通りから奥まった集合住宅だけに、華やかな職業というよりは、おのずと堅実な学者や企業人が集まっていたようだ。中でも山本さんが、「再開発の精神的支柱となった人」というのは比較文明学者の H さんだ。

様々な住居形態が混在した地域での民間主導の再開発は先行き困難に思われたが、H さんは、T.E.A(transparency:透明性、Equity:公平性、accountability:説明責任)これさえ守れば再開発は成功するという大原則を掲げた。すなわち一人が得をするのではなく、皆が公平に利益を享受することを目的としたわけだ。
余談だが、30年ほど前に、地方の再開発を手掛けていた再開発コンサルタントの友人は、再開発なんぞに巻き込まれたら、隣近所で腹の探り合いが続き、近所の友達はいなくなって大変だよ、と話していた。それを思い出すと、意識の高い人が住む都心の再開発は違うな、と単純に思った。実際そうであれば、この再開発もスムーズに進むかと思われたが・・・。
それでも出てくる反対勢力、悪意の流言飛語
しかしやはり、地権者が全て、災害に強い街を協力して作ろうという高い志の持ち主とは限らない。少しでも自分の取り分を得ようとするあまり疑心暗鬼にとらわれ、理事メンバーだけが有利な権利を得ているといった根拠のないデマを流す、会議の場で怒鳴る、なんでもとにかく反対する、など悪意のある地権者も出てきたそうだ。それも権利変換が終わり、理事メンバーの得た住戸が従前住戸とさほど変わらなかったのを見て次第にある程度は落ち着いたらしいが、当時のS理事長はどんな人の話でもじっくり聞くタイプの温厚な紳士だったので、悪意あるフェイクニュースには、内心かなりストレスを感じていたのではないかと思われる。
普段から地域との連携と地域貢献を行っている人の存在価
三生マンション住民で再開発の初代理事長だった A さんは、大手商社の元副社長。山本さんとともに毎早朝マンションの周りや近くの高橋是清公園の掃除を自主的にしていたという。「朝 6 時だったのが、だんだん早くなって 5 時くらいになってきちゃって、冬は暗いので頭に電灯付けて掃除してたんですよ」と山本さんは笑う。後に再開発理事長を務めた(前述の)S さんも、毎朝近くの横断歩道で小学生の登下校誘導をされていた。「最初は再開発への参加に抵抗していた住民も、こういった地域貢献する人の姿勢を見て軟化していった面もあったんではないかと思う」と山本さんはいう。
何のための再開発か?本当に災害に強い街とは?
山本さんは現在7丁目の区域外のマンションに家族とともに仮住まい中。あとは新しいタワーマンションと足元の完成を待つだけでは?という問いに、同再開発組合理事として「まだまだ決めなければいけないことは沢山あるので、月1~数回開催されている理事会に参加する必要があるんですよ」という。さらに 7丁目町会の防災部長でもある山本さんは、定期的に町内の小中学校や公園で行事とともに防災訓練を実施している。簡単なタンカの作り方やけが人の運び方、マンホールトイレの使い方などなど、いずれも新しい街づくりのため、地域のための無償奉仕である。
そもそもこの地域で再開発が始まったのは耐震性の高い住宅への建て替えが目標だったはず。そこから約16年。私利私欲にかられた一部の住民たちによる紆余曲折があり、本組合まで責務を全うした理事長も、建物完成を待たずに旅立たれてしまった。
「色々なことがあったけど、やはり再開発がここまでたどり着けて良かったと思います。災害に強い街づくりができることが何より。けれど防災に本当に必要なのは、普段からの地域とのつながりなんです」と、いくつもの災害現場でボランティア活動を続けてきた山本さんだからこそ、その言葉は単なる標語的なものではなく重い。
これからの再開発に私利私欲のつけ入る隙はない。シンプルに理想的な街づくりへ

都心の再開発について当事者の話を聞き始めたときは、古いマンションが新しく建て替わり、税制上の優遇措置や補償金の支給もあり、自腹を切らずに新しい価値あるタワーマンションに等価交換できるのは物凄くラッキーなことと思っていた。
かつての再開発は、街の活性化や道路整備などが目的とされていたが、今日の再開発はもっぱら旧耐震住宅の建て直しが主眼だ。しかもこれだけ土地代も建築費も人件費も上がってしまっては、これからの都心における再開発に、経済の優位性は望めるだろうか。
そうはいっても、もともと住宅に望まれるのは安全性。そして街に望まれるのは住みやすくて災害に強い街だ。そして万が一大地震が起こってインフラが絶たれた時、都心であっても隣近所の顔を知り、声を掛け合える関係性が、安全な街づくりには必須だ。
東京には意外と、氏神様を中心とした祭りや商店会など、もともとの住民が中心となる結びつきが強い街は残っている。そこに真新しいタワーマンションが建っただけでは地元民との連携づくりは難しい。
これからの都心の再開発は耐震性の高い建物の建設とともに、そこに新たに流入してくる新しい住民層と地元民とが連携するシステムづくりが必要だろう。
地権者にとって、かつての有り余る利益をもたらす再開発の代わりに、時代の流れで安全な住まいと街という、必要なものだけを残した清貧ともいうべき再開発となっていくのは、皮肉なことなのか、幸いというべきなのか・・?